英語教育の問題ばかりが言われるが、それほど単純ではない

日本人が英語に苦手意識を強く持っているという事実は間違いないところです。もちろん、高校や大学の受験ではそれなりに得点することができるものの、会話ともなると、どうしても強い苦手意識に苛まれてしまう日本人が多いというのが実際のところです。

では、その原因はいったいどこにあるのかというと、まず言われるのが、日本の英語教育がまずいということです。もちろんそれは否定しません。日本の英語教育や、そういう英語教育を長らく続けた国の無策も含め、確かにあまりにもまずすぎた、というのが実際の感覚です。

ただ、英語教育のせいにしてしまえばそれですむというほど、日本人の英語に対する苦手意識は単純なものではない、ということが間違いなく言えるでしょう。その根拠をここから示していきます。

欧米に対するコンプレックスが意外と大きい

まずは、英語という言語に対するコンプレックス自体よりも、むしろ欧米をはじめとする英語圏の人々、あるいは国々に対するコンプレックスのほうが大きかったということを、実は歴史が物語っています。

日本がアメリカと強い国際関係を結び始めたのが、江戸末期の黒船襲来のころでした。当時まだ西洋人を見たことがなかった民衆は、西洋人を天狗にたとえたのは有名な話です。これはやはり、大きな体躯に彫の深い表情、そして呪文のようなことばを話すというモンスターという像を、当時の人々が西洋人に対してつくりあげていたのではないかと推測されたりもするのです。

そうなってくると、確かに呪文のようなことばは欧米人をモンスターのように恐ろしい対象としてとらえるために大きな意味をもつとは言え、やはりことばそのものよりも、西洋人自体に畏怖の念を覚えていたことは間違いないでしょう。

その後も半強制的に開国を迫られた背景もあって、当時の日本人からすれば、こいつら、ニガテだな…という固定観念が植え付けられていたのではないでしょうか。

島国ゆえの恥じらい

日本の文化は、その閉鎖性にも特徴の一端が見られます。つまり、日本という国が島国であることにも大きく関係していると推測できます。しかも長きにわたる鎖国を経験しているわけですから、当時からかなり閉鎖的なスタンスで海外をとらえてきたということにもなります。

最近の例では、沖縄の人が東京で同郷の人間に会うととてもうれしい気持ちになる、という話を耳にしますが、その心境に近いものがあったのではないでしょうか。同じ国の者どうしであれば、包み隠さずすべてをさらけ出すことができるものの、外の者の前ではどうしも気をつかいすぎてしまうのが、日本人の国民性であるといえる気がします。

つまり、外国の人や物を前にすると、どうしても恥ずかしさが先に立ってしまうのです。私も特に若いころはそうでしたが、日本人のこころのどこかに、英語を話すことが恥ずかしいという気持ちが、英語を遠ざけてしまう部分も少なからずあるような気がしてなりません。やがてそれが、コンプレックスとなって抜き差しならない状況を生んでしまったともいえるのです。
【時間をかける必要がある

英語教育の悪さが、日本人の英語への苦手意識を生んでいる側面は確かにあります。しかし、戦後の教育とほぼ同時にスタートした英語教育だけを諸悪の根源と認定するわけにはいかない理由は、上記のようなコンプレックスの部分に求めることができます。

長い時間をかけて、英語や欧米人に対するコンプレックスを蓄積してきた過去を踏まえても、これをすぐに取り去るという考え方自体に少々無理があると言わなければなりません。やはり、日本人の英語へのコンプレックスを取り除くことが先決でありながらも、そこには長い時間が必要になると言わざるを得ません。そこに、日本人の英語への苦手意識を払拭する上での、大きなジレンマがあるというべきでしょう。

とはいえ、これまでのように、コンプレックスを蓄積する時間はもうすでに終わっていることもまた間違いない事実です。それならば、もうここからは、日本人の英語への苦手意識を払拭するための時間であることは間違いありません。

そのことを忘れず、時間がかかってもかまわないので、一歩ずつ前へと進んで行くしかないのです。もうとにかく、前を向きましょう!

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